京都の老舗料亭の店主のお話です。
最近の若い子の中には、寮に入っても皆んなと打ち解けない子が多いけど、あれではいけません。
やっぱり仲間とは心を開いて和気愛々とやってほしい。
うちの寮には大きい風呂もあるさかいに、昔は先輩後輩問わず一緒に入って賑やかにやってました。
けれどこの頃の子は交代でシャワーにかかるだけで、どうもそういう交流ができませんね。
真面目やけど自分の殻に閉じこもるようなところがある。
他人との交流を上手くできる子は人望もあるけど、
最近はそういうちょっとやんちゃな子をなかなかみなくなりました。
知らない人に声をかけるのを恥ずかしがる子が多いんですね。
業者さんでもお得意さんでも、店に一歩入りはった人には、
そこで自分と何かの繋がりができる。
そこで「こんにちは」って声かけたら、
自分の存在を示すことができるし、責任も生まれてきます。
まずは謙虚に挨拶がちゃんとできないと何も始まりませんね。
例えば宅配便で荷物が一つ届きますね。
私なら運転手さんに「ご苦労さんです」とか「車に気をつけて」とか、
何かしら声をかけるわけです。
人によっては「何でそこまでしなければならないのか」
と言うけれど、それは気持ちの問題ですね。
その辺のところが理解できずに、人が来ても知らん顔をしている子が今は多いです。
そやから私も若い衆にしょっちゅう言うのです。
せっかく見習いに来てはったら、私の背中を見て勉強しなさいと。
お魚屋さんとか、八百屋さんと挨拶して、
何やかやと喋りながら意思を通じて会話するのを見て勉強していかないと。
もちろん私にも悪いところがいっぱいある。
そこは反省の材料にして、ええところは取り入れてというのですけど、
背中を見て何かを掴みとるということが気づきませんね。
そこで私が若い子によく言うのは、食事をする時に何となく口に入れるのじゃなくて、
これをどういうふうに手掛けてこの味になっているのか意識して下さいと。
ただ料理をつくるだけじゃなく、自分が食べる時も何かを感じることで随分見方が違ってきますからね。
その食材の命をいただくことで心が満たされ、自分の骨身になることを自覚することは、
食材に敬意を払うことになるし、そういう意識をもつことが大事だと思います。
それを踏まえて、うちでは若い子に順番に賄いをさせるのです。
毎朝、山に行って食材を集めるところからやるんですけど、
まだ下働きでもその時はオーナーになれるんですよ。
自分の発想でその日の皆の献立を考えるわけですからね。
それもご飯が炊けるまでの30分で誠心誠意込めてやれよと。
それによって手に慣れますし、皆から「美味しい」と
言われる献立を考えることが一番勉強になるのです。
・・・・これは京都老舗の料亭の見習いの学びの話です。
※この話はまさに我々が仕事をして行くうえでこのことが原点だと思います。
目先だけの対応での付き合いでは、本当の人間の成長はないと
この話でつくづく思いました。
